雨のち晴れ |
有明から首都高速に乗りました
カーナビは東北道を目指しているようです
途中の渋滞で
近くで見られましたースカイツリー
東北道は平日でもクルマの通行量が多かったです
東北方面へ人や物資を運んでいるのかな
蓮田のサービスエリアで休憩して館林出口で一般道へ
途中の信号待ちで見かけたお店
宇宙ホルモンてどんなん?(笑
今年になって購入したクルマは黒なのですが(以前は濃紺)
もうホコリで真っ白なので洗車してもらいました
あんまり減ってないけどガソリンも
朝は肌寒いくらいなので冬のスーツを着てきたけど
わかります?
すっかり晴れて気温も上昇
あちーっす!
この日は親戚の叔父さんのお葬儀
91歳は長生きのほうですよね。
母の従兄弟なのですが(祖母の姉の息子)
一人っ子の母は兄のように慕っていて
私も子供の頃から行き来していました。
私が4歳のときに妹が生まれて
ある朝、目が覚めると父から
「今朝、おまえの妹が生まれて、おまえはおねえちゃんになったんだよ」
といわれ、それまで一人っ子で育った私は
「妹なんていらないから、親戚の家にくれちゃって」
とお願いしました(ひどい姉!)
それより少し前
私は春から保育園に通っていたのですが
お弁当を食べるのがものすごくのろくて
お昼寝の時間になっても
いつもイクちゃんという男の子と、みっちゃんという女の子と
食べ終わるまで残されてて
ぐずぐずお弁当をつつきながら
みんながお昼寝してるのを眺めていました
たぶん、そんな毎日がイヤで
夏休みが終わると
「もう保育園には行かない」と
ダダをこねて中退してしまいました。
自宅まで担任と園長先生がいらした記憶があります・・・
母はフルタイムで働いていたので
やがて仕事に戻り(産休制度などない時代だったそうです)
からだの弱い祖母が私と妹の二人面倒を見るのは大変と
私がその親戚の家に預けられました。
(妹じゃなく自分が、ね)
月曜の朝に母に連れられてその家に行き
土曜日の昼に母が迎えに来るのです。
その家はオトナばかりで
近所に友達もいないので
つまらなかったなー
叔父は郵便局で働いていましたので
昼は叔母さんと叔父さんの妹さんの3人です
朝の食事も漬物や煮物で
たまに卵焼きが出るとお醤油で茶色くて
「バターが入っててふわっと甘い卵焼きが食べたい」とか
「お肉やチーズやヨーグルトが食べたい」とか
思ってたけど言えなかった
ある日、叔母さんがお稲荷さんを作ってくれて
それが美味しくって、喜んでたくさん食べたそうです
(食べるのが遅い子なのに)
その後も遊びに行くたびに必ず
「あんたはお稲荷さんが大好きだったね」
といわれました(笑
夜はいつもトイレに行って泣いてた記憶があります。
まだ4歳でしたから仕方ないですよね
その後もずっと親しくおつきあいして
私の披露宴では叔父さんから祝辞をいただきました。
それがあるとき
今から思うと病気のせいかと思うのですが
叔父が人が変わったようになって
私の実家の両親に
「もうお宅とはいっさい行き来したくない」
と言ってきたそうです。
特に母はショックだったと思います。
それから数ヶ月して私にも封書が届きました。
内容はよく覚えてないのですが
「もう年賀状も送ってこないでください」
と書いてありました。
母から叔父のことは聞いておりましたので
手紙のことは両親に報告し
先方がそう言ってるのだから
もうおつきあいはないね
ということになりました
(昨日、両親から聞いた話、
妹は毎年年賀状も出していたそうです、不思議!
今度、妹に聞いてみよう)
そんな叔父の葬儀なので
両親からは
「お包みのほかには
きっと叔父ちゃんは私の名前を見たくないだろうから
生花を出すのは控えたよ」
とのことだったので
母方の親戚の名前が並ぶ生花の中に
両親の名前がなかったのは寂しかったです。
告別式では叔父の娘さんに挨拶しました
私が子供のころに可愛がってくれた
叔父の息子さんとも
もう20年くらい会ってないので
最初はぜんぜんわからなかったです。
叔父の経歴など語られるのを聞いていたら
私の子供時代のことがあれこれ思い出され
泣いてしまいました。
なんで仲たがいしてしまったのでしょうね
告別式が終わり、母方の親戚の叔母にも会え
(この方とはハワイやヨーロッパに旅行したりして仲良しです)
「またこんど、ゆっくり会おうね」
それから実家へ
今年の梅酒用にテキーラのシルバーを母に託し
ポン酢ジュレ2種類も(笑
お通夜だけで、用事で出席しなかった両親に告別式の報告をし
実家には10分足らずの滞在でした。
帰り道は見事に晴れ
ああ、運転が好きで良かったなーと
気が重かった行きとは違い
気持ちも晴れ晴れしました。
いったん帰宅して地下鉄で内幸町へ
JAL名人会の収録です
1000円の入場料で見られるんですよー
三三さんの高砂屋
小柳枝さんの唐茄子屋も
親戚の叔父さんや近所のおじさんが
小さいときから面倒をみてきた甥や
知り合いの子とのかかわりだったりして
あら、まるで私と亡くなった叔父さんみたいと思ったのでした
もちろん、アハハとたくさん笑いました(もう泣いてませんよ)
今日はカラリと晴れるそうです
気持ちいい1日を!
私も、車黒ほしいのですが、洗車をまめにしないといけないので、悩み中。
北海道だと、私がいるところは、牧場あったり道ほそうしていないところ多いから、すごいことになります(泣)
そのおばちゃんが亡くなった時には、母親が亡くなった様な気がして仕事も手につかなくなりましたよ。
今みたいに産休制度がなかったですからね…
ちなみに私も姉です。
子供には親戚づきあいってわからないですよねー
それまで親しく行き来してたのに・・・
こちらの親戚とは、このまま自然消滅かなあ
叔父のことも両親は新聞で訃報を知ったくらいですから。
ちびあねちゃんも預けられていたのね。
姉って大変なのよね
妹ならもっと気楽でいられたのかなーとか
たまに思ったりします(特に親戚関係など)
オットも子供の頃、夕方は近所の方に預けられてて
そこのおばあちゃんが亡くなったときは
大学生くらいだったけど葬儀で泣いてしまって
それを見た義母が嫉妬してたらしいです。
子供の頃の記憶って忘れないものかしらねえ。
台風注意してくださいね。