昨日は、朝から実家へ
両親をピックアップして、義母の施設へ
昨年末にもいったのですが
義母のいるフロアでインフルエンザが出て
全員自室で待機のときだったので
義母には会えませんでした。
施設の管理者の方にご挨拶だけ
なので、昨日はやっと義母に会うことができました。
義母のいるフロアの入り口には
謹賀新年と張り出され、それも義母が書いたものでした。
(書かされた?、笑)
年末インフルでできなかった年越しそばの蕎麦うちも
小正月に仕切り直しで、やるそうです。
義母、いろいろやらされて、忙しい(笑
3か月に1度、義母のリハビリの見直しがあり
その説明をしたい、とのことでしたので
義母の相手は両親にまかせて(笑
私は施設の管理者と、リハビリの担当者と面談
3か月前に義母ができていたことと、できていなかったこと
現在の状況、今後のことなど、お話されました。
ほんとうに義母のことをよく見てくださっていて
また、義母が前向きな性格で明るく好奇心も強いところも
施設の方たちに可愛がられているようで
私も嬉しいです。
何より義母が
あたしは幸せさ、ここが気に入ったんよ、と言ってくれるのが
嬉しいです。
施設の近くの神社にみんなで初詣もしたそうで
その時に、義母の家の近所の方が偶然役員で来られていて
1年近くぶりね、と二人で手を取り合って喜んでいたそうです。
ただ、その方は義母の家の裏手に住まわれている女性で
別のフロアの方を訪問した時に
そういえば、と義母を訪ねてくださったそうなのですが
「あんたの家、売りにでてるよ
もう、あんたの帰る家は、ないんだよ」
と義母に言ってしまい
その方が帰られた後で
義母は鼻血を出して号泣したそうです。
そんなことがあったので(1年近く前に)
施設の管理者とリハビリ担当の方が
その義母の家の近所に住む女性のことは警戒してくれていて
神社でも義母の傍にいて会話を聞いてくれ
少しでも家のことを言いそうだったら
止めようとしてくれたそうです(ありがたい)
その時は、何もいわずに、ただ再会を喜んでいたそうです。
義母の家のことは、いまだに 存在 していることになっていて
「お正月だから、いつもの庭師にきてもらって
すっかり庭はきれいにしてもらった」ことになっています。
でも、義母はもうその家のことはすっかり忘れ
義母は、いまはもうない、昔の生家に住んでいる
と思っているようです。
なので、家のことでは、あまり神経質にならなくてもいいのかな?
でも、ふとした瞬間に思い出すかもしれないし。
昔は義母の言動にふりまわされた両親も(笑
義母のことを何かと気にかけてくれ
施設のスタッフたちも両親の顔を覚えてくれたので
歓待してくれます。
義母の施設のあとは
近くにある農産物直売所へ。
先月いったときに、レジで
「この干し柿、かごに入れたのお父さんかな?」
「あたしは知らないよ」と母と話していたのを
レジの女性が聞いていたらしく
レジを終えて駐車場に向かっているのを
レジの女性が追いかけてきて
「これ、家で作ったんだけど、よかったらお父さんにあげて」
と干し柿を渡されました。
父も私も、これにはびっくりで
特に父は、なんで?と思ったそうです。
それで、暮れにまた直売所にいったとき
干し柿のお礼に、と両親が好きな
抹茶味のちんすこうを持参しました。
あいにく干し柿の方は不在で
もうひとりのレジの女性に2パック渡して
よかったら、おひとつずつ、と。
昨日も干し柿の女性はいなかったのですが
もう一人の方が、「お父さんに」と
ヨーグルトをくださいました(笑
施設でも、この直売所でも、ランチなどで立ち寄る先でも
「私の両親です」と紹介すると
「まあ、いつもお義母さんの面倒をよくみていて
いいお嬢さんですね」と言ってくださるので
(こそばゆい、汗)
両親は喜んでいるようです。
私としては、母が祖母にしていたのを子供時代に見ていて
ああいうふうにすれば、いいんだ
と真似しているだけなんですけどね。
午後から今日の昼くらいまで、お天気が悪い
というので、スーパーで食材を買って
(両親の朝食は、リトルマーメイドの食パン5枚切りで
近所にはそのスーパーに行かないと買えない、のです)
実家に戻り、一緒に昼食を食べて
(といっても午後2時くらいでしたが)
実家をあとにしました。
そうそう、立ち寄ったホームセンターで
美味しそうな匂いがしたので
タイ焼きを3個かって、クルマの中で食べました。
両親がいつも店の前を通っていたそうで
「買ってみるもんだね、餡子が優しい甘さで、美味しい」
と言ってました。
これからも、少しでも両輪に 刺激 を与える
鬼娘でいたいと思います。